ごあいさつ

キャットシッターこまちのはまだです。


キャットシッターというお仕事を始めるきっかけをくれたのは、一匹の愛猫の存在でした。

2005年秋のことです。

仕事場の裏に新入り仔猫が顔を出すようになりました。

お母さんとはぐれちゃったのでしょうか、、。

まだちっちゃい彼は一人ぼっちでした。

あとで思えば、この子はお母さんが「育てても仕方ない」と本能で判断して、見捨てられた子だったのだと思います。

ある日、おしりがうんちまみれで汚くなっているのをみかねて、病院へ連れて行くことにしました。

何の警戒心もなく手のひらサイズの彼を捕まえるのはとても簡単でした。

下痢だと思っていたら、尿道がつまりがけていておしっこが上手に出ず、排泄物でおしりまわりが汚れていたのだと判明、緊急オペとなりました。

まだ450gしかないちっちゃな身体でしたが、先生のおかげで、お腹の真ん中に新しくおしっこの出る穴を作るという困難な手術を、無事乗り越えることができました。

お母さん猫は先天的に尿道がつまる奇形であることを見抜いていたのかもしれません。

見捨てられた命でしたが、こうやって奇跡的に生きることができたのも運命です。

わが家に迎え入れることなりました。


幼くして大手術と入院生活という、とんでもない経験からスタートしてしまった彼の人生。

その後の生活に影響を及ぼさないわけがありませんでした。

とにかく家族と同居猫以外には一切心を許さないという、超人見知りさんになってしまいました。

そして命の恩人である先生と、病院に行くという行為が、何よりも恐怖でした。

人工的に作ってもらったおしっこの出る穴だったので、どうしても膀胱炎やお腹周りがかぶれることが多く、頻繁に病院に連れていかなくてはなりませんでした。

キャリーバックに入れるまでがとにかく大変で、バックを見せるどころか、準備をしようとしただけで、たちまち彼の姿はどこかへ消え去るほど。

一番厄介なのは押入れに逃げ込まれた時です。

襖くらいはなんなく開けることができたので、わが家ではふすまや網戸やサッシにガムテを貼るのが当たり前。

とにかく警戒心がすごくて、わたしが部屋着を脱いで身支度を始めただけでも、病院に行くと思って逃げ出していたくらいでした。

そして、行きの車の中ではおしっこを漏らすのが常でした。


9歳の時、突然糖尿病になり生死を彷徨いました。

この時も再び先生に命を救ってもらいました。

彼の場合、入院していると一切食べ物を口にしないので、インスリンとの兼ね合いもあり、食べてくれることを優先に考えて通院に切り替えました。

よっぽどでないかぎり入院させない、というのが彼にとっての最善の治療でした。

在宅療養に切り替えてできるだけストレスを減らし、なんとか食べ物を口にしてもらよう、ありとあらゆる好物を試しました。

それでも1週間は一切何も口にしませんでした。

明らかに精神的な拒絶反応でした。

やっと口をつけてくれたのが鰹節、次がチャオの焼きカツオでした。

抱っこしてよしよしして機嫌をとって、15分に1回くらい一口食べてくれました。

根気と執念と愛情で3時間ほどかけて食べさせました。

インスリンの投与は毎日欠かすことができません。

低血糖にも気を付けなければいけません。

年齢を増すごとに膀胱炎になる頻度も増えていき、病院通いも日常になりました。

この頃の彼はもう観念していたようで、捕獲作戦にてこずることも少なくなりましたが、その分、キャリーの中でもどしたり、診察台で泡を吹いたり、拒絶反応が肉体的に表れるようになっていました。

気に入らないものは断固として食べなかったので、食事療法を行うことも困難でした。

とにかく、お世話が難しい特殊な子でした。

と、同時にわたしにとっては特別な子でもありました。


外泊ができなくなりました。

田舎に帰省することもやめました。

なかなか制限のある生活でしたが、イヤではありませんでした。

その頃からでしょうか。

自分は旅行に行く予定もないし、だったら他の飼い主さんの代わりにお世話をしてあげることができるかも、、、と思うようになったのは。

きっと彼みたいに病院やホテルに預けることができない猫っているんじゃないか、はたまたわたしと同じように毎日お世話をしている大変な人のちょっとしたお手伝いができないだろうか。


ちょうどその頃、病気で余命わずかとなった一人暮らしのご老人が可愛がっていた猫を、わが家で引き取ることになりました。

その方にとっては、ずっと一緒に暮らしてきた大事な家族であり、生きる支えそのものでした。

自分の方が先に死んでしまうからという理由でペットを飼うことを断念するご年配の方は多いと思います。

でも、この子たちが与えてくれる安らぎと癒しは、何にも替え難い活力であり、心の支えになるのだと言うことを改めて感じました。

同時に、お年寄りと暮らすペットは今後どんどん増えていくだろうな、という思いもよぎりました。

その行く末も想像ができます。

何か自分にできることはないだろうか、と考えるようになりました。


小さい頃から動物が好きで、将来はムツゴロウ王国で働くんだと思っていました。

大人になってからは猫と出会う才能に恵まれ(?)、特に弱った子や親に捨てられたであろう子に出会うことが度々あり、元気な子は里親に出し、それが難しい子はうちで引き取るという感じで、入れ代わり立ち代わり、いろんな猫と付き合ってきました。

その度に、かかりつけの先生にはお世話になり、いくつもの命を救っていただきました。

だいぶ年齢も重ね、人生も折り返し地点を過ぎてしまいましが、この歳になって親からもらった健康な身体が財産であることを痛感するいま、これから先は、違う道を歩んでみることもいいのではないかと、キャットシッターになることを決めました。

自分の猫たちとの時間がとれる仕事を、病院に通いやすい仕事を、というのも大きな理由でした。


ようやくキャットシッターを開業できる目途がついたころ、そのきっかけを作ってくれた愛猫の彼は、そのスタートを待たずして天国へ旅立ってしまいました。

幸い、準備期間で仕事をしていなかったこともあり、十分にお別れをする時間をもらうことができました。

きっかけをくれた彼に感謝するとともに、少しでも彼のような人見知りの猫ちゃんたちのストレスを減らすお手伝いができたらいいなと思っています。